Morning Dew of A Lotus Petal

古今東西文化と歴史の謎、着物、茶の湯、奈良・神戸・大阪・京都の風物詩など筆に任せて書いてみます。

三羽のカラスと有馬温泉、そして熊野と太陽信仰のシンボル、ヤタガラス

有馬で仕事を始めた。3か月遠ざかっていた。

夏至の日に可愛がっていた老犬が亡くなった。

半夏生の葉の様にこの世の翠からあちらの世界の白へと色を変えるように旅立っていった相棒。こちらに取り残された私はこれからの日々を段々と薄れていく思い出とともに歩んでいくことになるんだなあ。

 

物思いに沈んでいた時、ふとこのブログで記事を書き綴っていた事を思い出した。やおら書いてみようと思い立ったのが、三羽の烏(からす)の話である。

 

三羽ガラスといえば、特に目立った活躍をする三人を指す俗称だが、この言葉の由来は実は有馬温泉に始まるという。

 

有馬の温泉街を抜けて石段を登ったところにある小高い丘に、温泉神社という社がある。読み方は《とうせんじんじゃ》と読む。この神社に祀られている三柱が、

大己貴命(おおなむちのみこと、大国主命

少彦名命(すくなひこなのみこと、事代主命

熊野久須美命(くまのくすみのみこと)

である。

 

有馬グランドホテルのコンシェルジェの方に教えていただいたのだが、当初は御祭神は大己貴命少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱で、古事記(712年)や日本書紀(720年)に記述があるのだそうだ。二柱の神が三羽のカラスが水たまりに浸かって傷ついた体を癒しているのを見て温泉を発見したとされている。 

 

次に訪れたのが舒明天皇(631年) と 孝徳天皇(647年)。特に有名なエピソードとしては孝徳天皇は子宝に恵まれず、有馬に湯治に来て男児を授かったという話で、この子供がのちに悲劇の皇子と呼ばれる有馬の皇子である。

 

その後時は奈良時代の724年に、大仏建立で有名な行基さんが有馬の温泉寺などの寺院を建立したとの言い伝えがある。大仏開眼会が催された752年からさかのぼること28年前だ。

 

更に時代は下って平安時代末期、白川法王(1126年)や後白河上皇(1175年)が訪れ、「色葉字類抄」によればそのころ(1177~1180)に熊野権現(熊野久須美命)が合祀されたとの記述があり建久2年(1191年)に熊野所縁の仁西上人が温泉を再興したということだ。何故、敢えて有馬に熊野の大神を召喚したのか?

 

ここで、温泉開基の伝説の三羽烏に加えて、熊野信仰の基となる三本足の八咫烏が有馬と結びつく。八咫烏熊野権現、つまりスサノオ・速玉・そして牟須美(ふすび)の三柱の神社のシンボルで、スサノオに仕える使者とされている。

 

ご存知スサノオはオオナムチの義父とも先祖とも云われている縁の深い存在、国つ神の大元締めである。フスビはムスビとも読め、「結」とも表記されるが、この神はタカミムスビ、またはカミムスビに通じる呼称を思い起こさせる。

 

本家熊野では、速玉はイザナギ男神)そしてフスビはイザナミ(女神)の夫婦神ともされている。カミムスビはアマテラスに先立って天津神の降臨を促したタカミムスビ 神の連れ合いの女神である。

 

アマテラスより遡る皇祖神タカミムスビが速玉(実際にはイザナミ)、カミムスビがフスビ(又はイザナミ)だったのだろうか?

 

タカミムスビは、オオナムチの国譲りの際巨大な神殿を建設した。そしてその祭祀を司ったのは、2番目に降臨した天穂日命(あめのほひ)である。

 

葦原の中国(=日本の本州を指すのか)平定のくだりでは、タカミムスビの司令でオオナムチの子供とも片腕ともいわれているコトシロヌシ(スクナヒコナ)へ高天原から遣わされたのがアメノホヒとされている。現在の皇祖とされているニニギの降臨の前の事である。

 

実は有馬のすぐ隣の六甲山にこの神が天降った磐座が在るらしいのだ。彼は、オオナムチ達に心酔しまるめこまれて国つ神の仲間になって高天原へ帰ってこなかったという。

 

有馬と六甲山、近い。アメノホヒが六甲山から有馬に来て、オオナムチとスクナヒコナに出遭ったとしたら…。出遭ったというより国津神軍団が迎えうちに来たのかもしれないが。

 

新撰姓氏録』では、八咫烏タカミムスビ(カミムスビが妻)の子孫である賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)の化身で賀茂県主(かものあがたぬし)の祖であると記されている。アヂスキタカヒコネともいう。

 

コトシロヌシも奈良の御所にある鴨都波神社や、京都の上賀茂、下鴨神社など全国に広がるカモと名の付く地域の祭神であるが、しばしば少彦名や恵比寿神と同一視され、外国から海を渡ってきてその背丈は非常に小さい神様だったとされている。

 

そしてタカミムスビが遣わしたアメノホヒ。ニニギの子孫である神武天皇の東征の際、太陽を背にして難波潟(現在の大阪大東市付近)のナガスネヒコとの戦いに勝利した時のシンボルである金色に輝く鳥(トビ)は一説には渡来人のホヒ族だという。

 

天津神系でありながら国津神に協力し本当の意味で仲介したアメノホヒは、この金鵄=ホヒ族ではなかったか。

 

アメノホヒの子供は天夷鳥神(アメノヒナドリ)またの名を武夷鳥(タケヒナドリ)。

こちらも鳥を連想させる。

 

日本書紀にあるイザナギイザナミから生まれたヒルコ(スクナヒコナ·エビス)を流した船の名は鳥磐楠船(とりのいわくすふね)とされる。くす=国栖を示すのであろうか。それならまた葛城・吉野のタカミムスビ一言主勢力との係りが感じられる。

また、これまたニニギに先立ち降臨した物部氏の先祖、饒速日(にぎはやひ)とともに河内に天降ったアメノトリフネに通じる鳥を冠した諡だ。

 

アメノトリフネとアメノヒナドリが別の存在なのか同一なのかはここでは追求せずにいるが、

 

西宮が本拠地のエビス(スクナヒコナ·コトシロヌシ)が絡んでいて、どちらも船を象徴することは注目したい。

 

オオナムチとコトシロ(少彦名・エビス)が有馬で出会ったカラスとは、

 

タカミムスビカミムスビ)の子孫(カモ)、

アメノホヒ(ホヒ)とアメノヒナドリ

の一行だったのだろうか。

 

そしてタカミムスビの子孫が、有馬の地で負傷した傷を癒していたのかも知れない。

 

カモ=八咫烏は、ついにヤマトを統一することになるニニギノミコトの子孫神武天皇を高千穂から導きヤマトの橿原まで案内したといわれる。

 

三羽ガラス(もしくは八咫烏の3本の足が象徴するもの)とは、

 

オオナムチ(オオクニヌシ·オオモノヌシ)

タカミムスビ(ムスビ·カモ)

スクナヒコナコトシロヌシ·エビス)

 

そのものズバリの三人衆となるだろうか。

 

八咫烏は古来中国で太陽の中に住む鳥とされ太陽信仰のシンボルであったそうだ。

天孫降臨と太陽信仰、そして国譲りに係わり全国を奔走した三柱の神、すなわち三人の頭領達が脳裏に浮かんだ。

 

2018年6月

 

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