Morning Dew of A Lotus Petal

古今東西文化と歴史の謎、着物、茶の湯、奈良・神戸・大阪・京都の風物詩など筆に任せて書いてみます。

東大寺 修二会とお水取りの謎 ~最終章・発祥の地 笠置~

笠置寺。 

奈良駅から車で1時間弱位の県境を越えた山中に、それは在った。

 

この山稜は古代は海中であったが、地盤が四方から押され隆起によって高い陸地となり、そこに流れる木津川が長い時間をかけて花崗岩の地盤を削り、水による侵食の特徴である滑らかでまるい石の造形をつくりあげた。

 

山中に分け入れば、至るところに奇岩群が見られる。大変に魅力的な場所だ。

 

この山を見つけ隠れ棲んだ人たちは、ただありのままの自然の奇跡を崇めるだけでなく、この自然の造形美人間に更に手を加えて人間による信仰の遺跡を残した。

 

現存するものでは、息を呑むほどに優美な《虚空蔵菩薩》とされる摩崖仏がその優美なギリシャ風にも見える線描で花崗岩に刻まれている。高貴であるのに、何故か肌をあわせ寄り添いずっと佇んでいたくなるような、身近で温かい姿だ。

 

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 此処へ来た目的は、東大寺《二月堂縁起》に記された、実忠が平城の都に持ち帰り752年に始めてから今年で1268回を数える、この《修二会》という修法の元になった「なにか」、の形跡を探すためだった。

 

到着してすぐに其れ、は感じることができた。

 

日本人なら先ずありのままをそのまま神として崇敬し周りを清め遠巻きに拝するであろうその巨岩に、力漲る巨大な神仏像を造り上げている。火災により線描が焼失したそうでその姿は原形をとどめてはいないが、そのパワーは1300年を経ても変わらない。

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笠置寺の弥勒磨崖仏(現在は寺の火災により光背のみが残る)


その磨崖仏は、【弥勒(マートレイヤ)】であった。間違いない、そうである筈だ。

 

麓の説明文には中国大陸から来た【天人】により造られた、とあり、こちらも調べていた通りだった。 

 

《二月堂縁起》には、実忠はその天人達から教えを授かった際「生身の観音」なる存在が必要不可欠であると云われた、と記されている。それはあたかもユダヤ教キリスト教に於いて絶対神に対する「人の子」としての救世主=Messiah(メサイヤ) を指し示している様に思われる。 そして、【弥勒(マートレイヤー)】は西·中央アジア遊牧民により東に伝わった弥勒信仰の本尊であり終末の世に現れ人々を救う救世主だ。

 

彼が住むのは【兜率天(とそつてん)】であり、実忠が笠置でタイムトリップして行き着いた先の天である。全てがパズルにすんなり収まる感覚がする。

 

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表向きは十一面観音に捧げられる【悔過(けか)】は、実は観音ではなく弥勒または救世主たる【生身の仏(神の子)】の目前で捧げる行為だったのだろう。

 

では、何故それを隠さなければならなかったのか?

 

悔過は【五体投地】し、罪を【懺悔する】儀式である。その装束や扮する役割、実施される炎が焼き尽くす終焉と聖なる水の祝福。これら内容は明らかに仏教の教えではない。ネストリウス派キリスト教ユダヤ教ゾロアスター教、のエッセンスをちりばめたマニ教の秘儀だったのではないか?

 

マニ教の集団は生まれ故郷のペルシャを迫害され、中央アジアから中国へと東に東に安住の地を求めて彷徨った。滅亡してしまったと云われるが、つい最近になって中国や台湾の仏教寺院だと思われていた場所がマニ教寺院だったと判明した、などニュースになるほど隠された信仰であったのだ。日本にも同時期に渡って来ていても全く不自然はない。

 

そして決定的なのは《二月堂縁起》に天人のいる屋敷は【摩尼殿(まにでん)】と明らかに記されているという事実だ。

 

磨崖仏の麓の庵は【正月堂】と呼ばれ、【二月堂】に先立つ寺である由来を示している。

 

ご住職に話を伺ったところ、東大寺で初めて修二会を行う前年の751年、この正月堂で第一回目の【悔過】が行われたとのことであった。

 

この地に来て信じるに足る情報を得、仮説が成り立つ。

 

マニ教(もしくは弥勒信仰、キリスト教ゾロアスター教ユダヤ教などの集合体)を信仰していた遊牧民の有力者が、何らかの事情で6世紀末〜8世紀初の日本に渡来し、大和政権に大きな変革をもたらし、そして恐らくは当時の天皇(大王)と深い関係を結び一時期には政治の中枢にその地位を占めたのちに追いやられ、いつしか日本に同化していったのではないか。

 

彼らの一部は笠置に隠れ棲み、信仰する仏(神)を岩に刻み、秘儀を為した。

そして、笠置で始められ東大寺で1268回を超え続けられている【修二会】〜お水取り〜こそその儀式を今に伝えるものである、と。

 

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これが事実とすれば裏付ける証拠として、

⚫︎同様の磨崖仏が西アジア中央アジアに存在する筈である。

⚫︎また奈良や日本の他の地域に正体を隠したマニ教の経典や寺院が存在する筈だ。

これらの点を次に確認してみよう。

 

雄大な遺跡の横にふと目を遣ると、 人工的な崇拝物以外に、そのままの奇岩の岩と岩の間の「裂け目」を《神の依り代》として聖なる場と崇めているところも在った。その上部の蓋の部分の丸岩は人が載っけたものだと思われるが、こちらは原始日本から続く、素直な畏敬な念を感じた。

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笠置寺の神の依代(よりしろ) 京都府相楽郡笠置町

 

(2018年3月21日)