Morning Dew of A Lotus Petal

古今東西文化と歴史の謎、着物、茶の湯、奈良・神戸・大阪・京都の風物詩など筆に任せて書いてみます。

東大寺 修二会とお水取りの謎 ~その3~

火と水が織りなすミステリアスな修法は、奈良の春を彩る東大寺【修二会(しゅにえ)】の行の大きな特徴のひとつだ。

1日から14日まで連夜行われるのは【お松明(おたいまつ)】。

春の星座が輝く夜空の下で二月堂へと続く登楼を登り欄干の上をくるくると回され端から端へと駆ける。その間真っ赤に燃える火の粉が欄干から下に飛び散り落ちる様は、ダイナミックで美しい。

過去の罪過を清め焼き尽くして新たなる一年を迎える。

通常の松明は竹に松の葉を差し込んだだけのものだそうだが、12日の夜だけは一回り大きなサイズの根っこのついた真竹を使い竹で編んだ籠に松明の頭の部分を詰め込んでそれを竹の竿に突っ込んで使われるそうだ。こちらの総重量は70kgsにもなるそうだ。

練行衆1名につき、補佐役の人がついて運ぶそうなのだが、これを持つなんて大変な力がいるだろう。

一般の人にはその燃え尽きた後の炭を拾い玄関先に置くなどしてその年の安泰を願う風習もある。

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次に水が主役なのが、12日から日付が変わった13日の午前1時頃、若狭井(閼伽井)の井戸から【お香水(おこうずい)】を汲み上げる儀式であり、芭蕉の句にも詠まれた【お水取り】の由来ともなった儀式だ。 こちらについては前々回(その1)で述べたが、今の福井県若狭の辺りに居られた【遠敷(おにう) 明神】のところから発する清水が地下深くを潜りこの井戸に噴出していると信じられており、今でも先立つこと一か月前に彼の地で【お水送り】という儀式が実施されている。

この地下水路が西・中央アジアでの灌漑工事技術によって作られた【カナート】に起源を持つのではないかと考えている。

 

そして極めつけは文字通り《火と水の競演》がなされる内陣での行事【達陀(だったん)】だ。法螺貝が吹き鳴らされると鈴の音、また床を荒々しく踏み鳴らす足音が入り乱れる中練行衆がそれぞれ扮した水天と火天が戦う。火が攻めれば次は水がそれを打ち消す姿を想像してみる。悲しいかな未だその修法を私は見たことがない。

 

火天とは聖なる火、ゾロアスター教で至高の存在と崇拝された光の神アフラ=マズダを思わせる。世界を光と闇(悪神アーリマン)とが永遠に闘い続ける二元論で捉え、光が倒されて世界が滅びる時、救世主によって最後の審判が下されるという。

 

《だったん》とは《ダッダdagha (sk) / daddha (Palii) 》がなまったものかもしれないとのことで、サンスクリット語で焼き尽くす、という意味だそうだ。

 

かたや水、こちらも聖なる存在であり砂漠の宗教では《沐浴(もくよく)》が心身を清め解き放つとともに水がたりない場合は額を聖水で湿らせる《洗礼(せんれい)》がその代わりとなった。

ミシェル・タルデユー著「マニ教」いう本(下記URL参照)の内容について別のブロガーの方が書かれている記事を下記に引用する。

マニ教の教祖の父親はキリスト教《エルカサイ派》に属していたという。その宗派ではこの洗礼派の生活実践の本質をなすのは、身体および食物に関わる儀礼的洗浄である。彼ら自身、「白装束」と称する白い衣服を着ていた。その白装束は彼らの浄化された状態を象徴するものであった。この洗浄という点において、エルカサイ派をパレスチナバビロニアの洗礼集団から区別するものは何もない。」

 

事実失われた宗教、マニ教では古の宗教で火が最高神であったものが新しい宗教として水の存在を重視していたのではないだろうか。

ゾロアスター教からユダヤ教、またそこからキリスト教が生まれる過程においても“すべてを焼き尽くす供儀の火に代わって、パレスチナの洗礼にみられる《生命の水》が大きな存在になっていったのだ。

 (次回に続く)

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本文引用資料: 

https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%8B%E6%95%99-%E6%96%87%E5%BA%AB%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B8%E3%83%A5-%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB-%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC/dp/4560058482