Morning Dew of A Lotus Petal

古今東西文化と歴史の謎、着物、茶の湯、奈良・大阪・京都の風物詩など筆に任せて書いてみます。

《第69回 正倉院展》によせて ~ペルシャ・アッシリアと奈良~

紅葉狩りに賑わっていた11月、今年も奈良国立博物館で《正倉院展》が開催されたので通訳案内士を目指す仲間と見に行った。69回目を迎える本年度の出陳物は58件でうち10件が初公開だったらしい。

注目品は聖武天皇のお住まいに飾られていたとされる《羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)》という宝物で、樹の下に佇む羊が描かれたペルシア風の屏風だった。

地方から税として納められた絹が地裂に使用されているとの説明がなされていた。

http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2017toku/shosoin/images/shosoin_top.jpg

第69回正倉院展|奈良国立博物館

「なぬっ⁉」と思う。1300年前の日本の地方から献上された絹の布地に、あんなほぼ完ぺきなペルシア文化の特徴を醸し出す図案が施され日本で作成されたのが事実だとすると、次に浮かんでくる思考はといえば、「一体この国でこの屏風を作り上げた人(集団)は何者であったのか…?」

 

この品物一つとっても、いや正倉院展に毎年訪れるたびに強く感じることだけれど、

奈良時代において特に顕著なのが、当時の日本に西方文化が根差していた(とおもわれる)ことだ。そしてさらに驚くべきは、同じ巻き角の羊の絵がなんと現ウズベキスタンの首都サマルカンドにあるアフラシアブ遺跡の壁画に描かれているというニュースがこれまた最近とりあげられた。専門家は「シルクロードを往来した商人を介して日本に伝わったのでは」と推測しているそうだ。

 

その記事をよんでまたこう思う。「商人を介しての品数?いいえそれどころではない。簡単に述べられているが当時の移動手段でそう頻繁に日本の奈良に物品が渡ってくるとは思えない。中国から遣唐使が持ち帰ったものもあったとしても、あれだけ《ペルシアに起源をもつ様々な備品・物品》がなぜ以降の京都ではなく奈良・平城京に集められているのか。第一この屏風に限定してみても、日本に伝わったのであれば絹が日本産であるはずがない。」

 

そう、妄想が進むと行きつくのは、おそらくある一時期にペルシア(現ウズベキスタン~イラン付近)から異国の集団が数代を経てはるか日本まで移動してきて、そして土着の民と混血し日本民族として時の権力者に仕えた、または時の権力者に取って代わりまつりごとを行ったのではないか、という仮説だ。シルクロードから中国本土を経て、朝鮮半島を下り、船で日本海側の山陰あるいは北陸に到着し、列島を横断して皇尊(スメラミコト)に謁見したその集団は、体格も大きくその顔貌も当時の人びとからすると異形であったに違いない。異国から渡来した先祖の血統が幾代を経て薄まりついには日本民族と同族化していった経緯を、面をつけて伝えられた楽を舞う四天王寺厳島神社そして春日大社などで継承されている舞楽に見る思いがする…

 

(2017年12月17日)

 

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